11月1日では遅すぎる〜劇団ゲキハロ2周年にむけて〜


もうそろそろ「携帯小説家」の話題は、おしまいにしたいところですが、
最後にどうしてもふれておきたいのが、
肝心のストーリー。


実際、この劇で扱われていたのは、いま現在もっともクリティカルな話題のひとつ、
ネットが引き起こしている既存の価値の紊乱、ってとこなんでしょうけど、
劇の中では、これといった結論が出るわけでもなく、
なんだかうやむやな形で終わってしまったので、語りにくいのですが、
さすがにああいう場所で扱うには話がデカ過ぎたか。


吉原先生は、携帯小説を、素人の書いた無責任な産物と断じ、
事故現場を携帯のカメラで撮影するやじ馬を例にあげ、
誰でも資格を問われず、脊髄反射的に情報発信できる現代のネットに疑問を呈する。


それに対し、キヨカは、「サムライ☆ベイビー」が多くの人に支持され、自分はそれに力づけられた、
そもそも、キヨカを小説に向かわせたのは、自分のファンレターに対する吉原の返事だったと訴える。
編集者の岸さんも、吉原の書くような既存の文学が現代のニーズに答えられていない、自分は人々が読みたいと思うようなものを出していきたいという。


岸さんの存在がひとつのキーになります。
彼女に対して、藤村さんと吉原先生が、それぞれ同じ質問を突きつけます。
「あなた自身は本当に携帯小説をおもしろいと思っているのか?」と。
しかし、岸さんは、その問いには2回とも正面から答えようとしません。


ハロメンでも携帯小説を愛読していると公言している人が何人かいて、
しかし、そんな彼女たちには申しわけないのだけど、
携帯小説が、何人かの文芸批評家の言うとおり、従来の基準から言えば、話にならないシロモノであることは、否定しがたい事実。
とうてい文学作品などと呼べた水準のものではない。
しかし、それが若い世代に熱狂的に支持されているという事実、若い女の子たちが携帯小説に感じるというリアリティ。
出版に携わるものとして、それを一概に否定するわけにはいかない。
否定するとすれば、それはそれで無責任、あるいは怠慢だろう…この位置に岸さんは立っています。


岸さんの言葉を受けて、吉原先生は、それでは自分はもう小説は書けない、筆を折るという。
事実として彼はもうすでに書けなくなっており、妻は不幸なかたちで亡くなり、娘との関係もうまくいかない。
自分の小説は、結局、誰も幸せにできなかった、と。
今度は、キヨカと娘さんが、そんなことはなかったと、それを否定しようとするのですが、
議論は膠着状態に陥ったまま、アキヨシのmixiの書き込みが、大惨事を巻き起こす…


物語はハッピーエンドのようで、そうでもない。
結局次回作を書きあげることはできず、キヨカ自身の言うとおり、彼女たちは周囲に大迷惑をかける。
最終的に責任を全うすることができなかった、という意味では、吉原先生の言うとおり。
一方、吉原先生はテレビタレントとして再び表舞台に出ていくものの、
自ら筆を折るまでもなく、小説家としてはもう終わっていることがはっきりしてしまった。
劇中ではギャグになってましたけど、考えてみればあれも苦い結末なんですよね。
結論は、7人+1人の女の子たちがまだ若く、将来があるということに託されたわけですが…


まあ、簡単に結論の出るような話でもないでしょうから、
問題をサスペンドさせたままで終わらせたのは別にかまわないのですが、


ただ、どうしても納得のいかない、
℃-uteヲタとして、スルーできない点が、1ヶ所だけ、あった。


吉原先生が謝るアキヨシをなぐさめるときのセリフ。
誰が悪いのでもない、責任の所在を問えない、そういう社会なんだ、という。


これは違うんじゃないかな。違うっていうか、うまく言えませんけど、
匿名が常識の今のネットでは、責任の問いようがないというのは事実でしょうし、
アキヨシに悪気がなかったのもウソではないんでしょうけど。



おととしの11月1日が、劇団ゲキハロの第1回公演「江戸から着信」の初日でした。
ゲキハロも、明日でもう3年目を迎えます。


そして、同じ日に、ハロプロの公式サイトに、ひとつの告知がアップされました。


初日に「携帯小説家」を見て、まず思ったのが、℃-uteのメンバーがこのストーリーをどう思っているか、何を感じて演じているのか、ということ。
彼女たちの内面は推し量るすべもありません。あるいは、もうあんなことは完全に過去のことになっているのかもしれません。それはそれでかまわない。これからも彼女たちにはステージがあるんですから。前を見て進んでいくべきです。
でも、僕個人は、あのことを忘れられないし、今後も過去のことにするつもりもないんですよね。


われわれその頃から℃-uteを見ている人間にとって、
今回のテーマは、単なる社会問題なんかではなく、もっと根本的な態度を問われる問題でした。


誰が悪いのでもない、
などということは絶対になく、明らかに悪意を持ってネットにあげられた写真。
しかもわざわざ1stアルバムの発売日を狙って。


あの子は、テレビ番組のコメンテーター、などというわけにはもちろん行かず、われわれの前から姿を消した。


太田さんが、℃-uteというグループのこれまでの経緯をどこまでご存知なのかはわかりません。
ハロプロ関係の演劇はいくつか手がけておられますから、
あるいはすべて承知の上で、この脚本を書かれたのかもしれませんが、だったらもうちょっと違う書き方があったんじゃないかな。
知らなかったとしても、あれだけはちょっと、詰めが甘すぎると思う。


いずれにせよ、とても楽しかったこの芝居の中で、
どうしてもあそこだけは、受け入れることができませんでした。


それだけ。