ハロプロアワードその他雑感

娘。の現状


それにしても、今回はいまだかつてなく娘。の比重が小さかった。。
主要ユニット、メンバーがそれぞれ持ち歌を2曲ずつ披露したのに対し、かろうじて1曲多いだけ。
「友情」はワンダ名義だったし。
従来だったら前半でも「みかん」1曲で終わらせるなんてことはなかったはず。


今はベリキューに軸足を置いている当方としては、
娘。が「本体」であることが、いつまでも自明視されていることに、
疑問を感じていたのだけれども、


すでに過半数のメンバーがベリキューよりキャリアが短い。8期に至ってはエッグより若い。
もはや名前を継承しているというだけでは、その人たちがハローの中心にいることの正統性が維持できなくなりつつある。
筋論的にも、実績的にも。
このまま行って、本当に娘。がハロプロ内の1ユニットに過ぎない時代が来るんだろうか。


っていうか、あるいは、ひょっとしたら、
事務所はそういう方向へ娘。をソフトランディングさせたいのかも、
と今回見てて思った。
あくまでも娘。こそハローの主役というタイプの人たちは怒るだろうけど。
実際、そうだとしても難しい作業ではある。
これ以上の落ちぶれ感をかもし出すようなことは是が非でも避けたいし。
どこに落としどころを持っていくか。


いや、僕はまだまだ娘。には魅力があると思ってますけどね。

音楽ガッタスについて


アー写が更新された。
来週はアルバムも発売されるし。
よっすぃーも言ってたけど、アルバムが出てその3日後には初コンサという、過酷な日程。
こちらも一夜漬けもはなはだしい参戦を要求されてるわけで、
実際やっつけというか見切り発車というか、煮え切らないポジションのユニットなんですが、
今回見てて、これは今後のハロプロの展開において、カギを握ることになる人たちなんではないか、なんて思いました。


娘。卒メン+エッグっていう、隔世遺伝的なメンバー構成。
でも、これによって娘。がいつの間にか失ってしまった何かが再現されているような。
魂の継承、というか…
娘。の現メンより、ガッタスのほうがかつての娘。の雰囲気に近いって感じてしまう。
まあ、メンツがメンツだけに、錯覚してるだけかもという気もしないでもないけど。自分でも。


ワンダ/エルダっていう分け方は、まあビジネス的には正しいんだろうけど、
これ、今後もこのままずっと続けていくと、絶対ある種の貧しさをハローにもたらすと思う。
ミもフタもなく書いちゃうけど、エルダ=ピークをすぎた人たちのお払い箱みたいな感じが固定されてしまったら。
今でもそうじゃないか? いや、違うでしょう。
観たら絶対楽しいし、あの人たちはまだまだ終わってないんだから。
それに、ベリキューもこれから確実に年は取っていくわけで。
いずれは彼女たちもエルダーなんですよ。
その点音楽ガッタスは、今回はエルダだったけど、出ようと思えばワンダでもそんなに無理じゃない。
音潟にはそういうビジネス的貧しさを超越する可能性があるって勝手に一人で考えています。